佐世保海洋少年団 Japan Sea Cadets Sasebo corps.
私たち佐世保海洋少年団は、長崎県北地域の少年少女に対して海洋に親しむ機会を与え、海洋・海事思想を普及し、海洋に関する科学的知識と海上生活に必要な技術を授け、社会生活に必要な徳性を涵養(かんよう)し、併せて国際交流を図り海洋国家日本の人材育成に寄与することを目的とし、1952年に佐世保市にて結成されました。結成から今年で70年目、歴史と伝統のある青少年健全育成社会教育団体です。
佐世保海洋少年団の歴史
佐世保海洋少年団は、全国の海洋少年団の中でも最古参であり、結団から今日まで歴史が途切れることなく活動を継続している海洋少年団です。現在でも結団当初からの指導者が現場で指導にあたっており、佐世保海洋少年団のOBは、3,000名を超えております。日本で活動する海洋少年団の歴史と伝統を一番知る海洋少年団として訓練や活動に日々励んでおります。
1948年
初代海上保安長官 大久保武雄氏の要請で佐世保市に海洋少年団を結成すべく関係官庁、団体の協議会が佐世保市で開催される。
1951年(第1回全国大会:東京都皇居前広場)
1952年(第2回全国大会:東京都皇居前広場)
7月20日に結成のための役員会を開催、田中丸善重氏を佐世保連盟団長とし、全国で69番目の団として日本海洋少年団連盟に登録を行った。
1953年(第3回全国大会:東京都皇居前広場)
結成1周年
全国初の訓練用カッター2隻を東京の造船所に自費で発注しカッター訓練の導入を行った。
佐世保市教育委員会主催による海洋訓練指導者講習が実施され指導者の養成を行った。
1954年(第4回全国大会:名古屋市鳥羽)
西海橋が完成し海上自衛隊の交通艇で航海訓練を実施しながら海からの見学を行った。
1955年(第5回全国大会:東京都)
日本海洋少年団全国大会が東京都(宗谷船上)で開催され、佐世保から初めて大会に参加した。
1956年(第6回全国大会:東京都)
海洋少年団を広げるべく、伊万里、唐津、門司、下関、福岡を訪問して海洋少年団運動を紹介した。
1957年(第7回全国大会:神戸市)
結成5周年
結成記念行事としてバイオリン奏者「鰐渕賢舟氏・晴子氏」を招聘し佐世保市公会堂にて演奏会を開催。
1958年(第8回全国大会:伊豆大島)
初代連盟団長のご逝去により、第2代として小出惣一氏が連盟団長に就任した。
文部省推奨の東映映画『なかよし港』に団員と指導者が出演し佐世保市内の小中学校で特別上映会を行った。
1959年(第9回全国大会:敦賀市)
佐世保郵便局が火災になり、通り掛かった団員4名が搬出される荷物の見張り役を率先して手伝い新聞紙上で報道された。
1960年(第10回全国大会:千葉市)
下京町交差点で当時信号がなかったので佐世保警察署の指導のもと訓練の一環として交通整理の体験を行い、車や人の誘導を行った。
1961年(第11回全国大会:舞鶴市)
大村競艇場よりモーターボートの払い下げをうけ、モーターボートの訓練を開始した。この年の全国大会で手旗競技、手旗送受信競技、カッター競技に参加。カッター競技では、公式タイムとして3分57秒を記録した。
1962年(第12回全国大会:横浜市)
結成10周年
全国大会が横浜市で開催され、皇太子ご夫婦(現:上皇上皇后両陛下)がご臨席された。
1963年(第13回全国大会:高松市)
海洋少年団の九州連合(現在の地区連)を旗揚げすべく初の会議を唐津団、大分団、門司団が参加して別府市で行った。
1964年(第14回全国大会:清水市)
アメリカ海軍空母キティーホークやホーネットが佐世保に寄港し招待を受け交流会を行った。日本連盟より帆走ができる石原造船所製造6メートルカッターが初めて配備された。
1965年(第15回全国大会:津山市)
アメリカ海軍空母ヨークタウンやバリーフォージが佐世保に寄港し招待を受け交流会を行った。
1966年(第16回全国大会:小樽市)
海上自衛隊の護衛艦で体験航海を行い、操舵訓練を実施した。
1967年(第17回全国大会:銚子市)
結成15周年
海上自衛隊揚陸艦の支援を受け、九州一周の体験航海を計画したが途中台風の接近により予定を繰り上げて訓練を実施した。
1968年(第18回全国大会:名古屋市)
海上自衛隊の護衛艦による体験航海やアメリカ海軍空母イントレビットが佐世保に寄港し招待を受け交流会を行った。
1969年(第19回全国大会:呉市)
第3代連盟団長として坂田重保氏が就任した。この都市開催された長崎国体の大会支援を行った。また海洋少年団全国指導者講習会がこの年より始まり指導者を派遣した。
1970年(日本連盟20周年記念大会:東京都)
指導者の特技を生かして英会話や空手、詩吟などを訓練に取り入れた。チベット難民の子ども達が来日し佐世保に滞在し団員と交流を行った。
1971年(第20回全国大会:新潟市)
全国大会において佐世保連盟として福原賞を受賞した。日本海洋少年団佐世保地区連盟から佐世保海洋少年団となる。初代佐世保海洋少年団 団長に加藤信秀氏が就任する。佐世保港から大村湾まで第1回帆走訓練キャンプを実施した。詩吟朗詠錦城流錦城会発表会に参加。
1972年(第21回全国大会:福岡市)
結成20周年
九州で初めて全国大会が福岡で開催され佐世保団からは、鼓笛隊も編成し参加した。この年に九州北部地区連盟が発足した。
1973年(第22回全国大会:八戸市)
日本海洋少年団長崎県連盟が日本連盟に登録された。佐世保団から初めて全国大会での手旗個人競技の満点者がでた。九十九島の無人島、金重島にてカッターキャンプを実施。
1974年(第23回全国大会:広島市)
佐世保市の成人式の会場整理支援を行った。
1975年(第24回全国大会:東京都)
早天訓練を実施し佐世保市内のバス停や公園の清掃活動や吸い殻入れの設置を行った。
1976年(第25回全国大会:今治市)
日本連盟が認定する水泳技能認定会を開始した。アメリカ海軍の払い下げヨットを購入しヨット走法の訓練を開始した。
1977年(第26回全国大会:四日市)
結成25周年
第1回長崎県少年の船が計画され、団員・指導者が参加をした。
1978年(第27回全国大会:豊橋市)
佐世保市内の青少年団体が集結して第1回森の集いを開催。佐世保少年院にカッター訓練の指導に行き、交歓会を実施。
1979年(第28回全国大会:鹿児島市)
市内パレードへの参加支援要請が多い年で建国記念の日、国際児童年、七夕、婦人ペーゼント大会、海の記念日のパレードに参加支援を行った。
1980年(第29回全国大会:東京都・第1回九州北部地区大会:沖縄県)
活動に参加する団員が215名を記録した。全国大会では、山縣賞を受賞。九州北部地区大会が初めて開催され博多港から沖縄まで航海訓練を兼ねて開催され、地元の沖縄の海洋少年団とも交流会を行った。
1981年(第30回全国大会:北九州市)
九州北部地区連盟指導者連絡協議会が発足し、指導者の連携活動を開始した。日本連盟よりFRP製カッターが配備された。
1982年(第31回全国大会:札幌市 第2回九州北部地区大会:佐世保市)
結成30周年
佐世保海洋少年団結成30周年を記念して第2回九州北部地区大会を佐世保団が主管し開催した。参加総数が600名を超えた。写真で見る30年のあゆみを刊行して関係者に配布した。
1983年(第32回全国大会:福山市)
全国大会で手旗競技の部で準優勝したほか、総合第6位という成績を収めた。国鉄の民営化に伴い廃線となり、松浦鉄道に移管される国鉄沿線を団員をつれて一日旅を楽しんだ。
1984年(第33回全国大会:沼津市 第3回九州北部地区大会:福岡市)
寒中水泳を実施し84名が完泳した。加藤団長のご逝去により、佐世保海洋少年団葬告別式を挙行した。させぼ祭りに台車で本物のカッターを引き山として披露した。
1985年(第34回全国大会:徳山市)
西海アメリカンフェスティバルが開催され、東京ディズニーランドからマスコットのミッキーマウスが来佐世保、市中パレードの警備を実施した。
1986年(第35回全国大会:酒田市 第4回九州北部地区大会:沖縄市)
第36回日本海洋少年団全国大会が佐世保市で開催されることが決定し開催のために、この年行われた全国大会に佐世保市長、教育長が参加視察し佐世保での大会準備が進められた。全国大会の実行委員会もこの年に正式に発足した。
1987年(第36回全国大会:佐世保市)
関係各省庁、長崎県、佐世保市、長崎県警と協議が終了し、常陸宮同妃殿下ご臨席の元、3,064名が全国から佐世保に集い第36回日本海洋少年団全国大会が開催された。全国で初めて海洋少年団OBにより組織された実行委員会での大会となり、成功裏に終了した。